一般庶民の価値観も、農業社会の発展につれて変化しました。
この時代の人々にとって、一番基本になる考えは「身分」です。
今の我々からは理解するのが難しいのですが、身分制度というのは「身分があるのが当然」という社会です。「自分は農奴だ」とか「自分は領主だ」とか「商人だ」という大変はっきりとした自分のポジションに、疑問を持たない。
それまでの、とにかくその日食べるもので頭がいっぱいで、「自分とは○○である」というような意識が全くなかったころに比べると、大きな差があります。
農奴は農奴として、ちゃんと畑を耕し、作物を作るのが”あるべき姿”です。
いくら働くのがいやだったり、凶作が続いて貧しくても、農地や身分を捨てて森で獣を追って暮らすなんてできません。それは罪深く、おまけに恥ずかしいことになってしまいました。
職業選択の自由、なんて発想はありません。「農奴」という身分があるからこそ、自分は社会の一員である、という(低いながらも)立場や保証が得られたのです。身分を持って生まれないのは、蔑むべき未開人なのですから。
領主もまた、領主らしくあるのが良いことです。
ちゃんと自分の領土を守り、できれば領土を広げるのが立派な領主のすることです。そのために税率の調整をしたり、灌漑(かんがい)工事をさせたり、兵隊をそろえて戦いを仕掛けたりします。
今の私たちは、つい「領民のために尽くす領主」「領民の幸福を考える領主」が、立派な領主と考えがちですが、これは大間違い。
そんな考えは領主はおろか、領民だって不幸にしてしまいます。
確かに年貢率を上げすぎて領民の半分が飢え死にしてしまっては、話にすらなりません。しかし、年貢が低すぎて下手に領民の間で食料が余っても、揉め事のタネになるだけです。
耕作できる農地の面積は、限られているのです。なのに領民たちに必要以上の食料を与えてしまったら、人口が爆発的に増え、数年後には飢饉となってしまうかもしれません。
身分制度社会では、新しいことは何もしない方がいいのです。新しいことは、その時には素晴らしい考えに見えても、あとでどんな災難を呼んでくるか分かりません。
だいたい、よその領主より年貢の率が低くても、特に領民の忠誠心が上がったりはしませんし、別に忠誠心が上がっても、別に良いことはないのです。
自分の一挙手一投足に注目されて、それによって尊敬や忠誠されるというのはあまりに不安定すぎます。それよりも余った食料や労働力を使って、立派な城やバカでかい墳墓を造ったりした方が、よほど領主としての威信も保てるというものです。
このように、農業が起きると、そこには身分が生まれます。世界中で、それぞれ似たような世襲の社会制度が誕生していきました。
みんな、生まれた土地で生まれながらの身分を守って、一生を過ごすようになりました。もう今日食べるものを求めて走り回ったり、毎日毎日飢えの恐怖と闘う必要はなくなったのです。他の部族と命を懸けて食料を奪い合ったりする必要もなくなったのです。
なんと素晴らしいことでしょう!
狩猟民族から見れば、勇気をなくし自分たちの「カミ」にそむく行為に見える農耕生活ですが、一度この居心地の良さを知ってしまうと、肉体的にも精神的にもあっという間に引き返せなくなってしまいます。
農耕を始めて一年もたてば、狩りをする脚力はすっかり衰えてしまいます。数十年もたてば、狩りをするノウハウそのものが忘れ去られてしまうでしょう。そうなってから狩猟生活に戻ろうとしても、わざわざ飢え死にするようなものです。
◆引き返せない楔
いったん変わってしまうと元に戻れない。このような社会変化を、トフラーは「引き返せない楔(くさび)」と呼びました。
狩猟社会では自由に移動していた人々も、農地から離れることができなくなります。
システム化した身分制度に生涯、縛られます。
変化を嫌う気風が一般的となり、アニミズムの「カミ」は廃れて、王や貴族、身分制を肯定する「宗教」を押しつけられます。
その代わり、もう今日の食べ物を心配しなくてもいいのです。
農地に縛られようと、毎年秋には収穫があることが、はっきりしているのですから。
身分が固定されたおかげで、機(はた)を織ったり農具を作る”専門家”が生まれ、生活は比べものにならないほど良くなりました。
安息日に行く目も眩(くら)むほどの教会や、王様の住んでいる立派なお城が、まるで自分のことのように誇らしく思えます。
このように引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しいシステムヘと移行します。
農業時代の人々は、もう狩猟時代には戻れません。それどころか狩猟生活をしている人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
「その日暮らしの生活をするのは、野蛮人だけだ」
「身分も持っていない、祝福されていないヤツら」
全く、人間というのは仕方がない生き物ですね。
システムの変化は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会全体を変化させます。これが農業革命の時に起こった、パラダイムシフトなのです。
農業革命によって生まれた身分制度は、新しい社会制度ですが、同時に全く新しいパラダイムでもあるのです。
封建時代とは、王様が威張っていて農民は耐えていた時代、というイメージが何となくあります。
でも考えてみたら、「自分が畑仕事をする理由なんて一つもないけど、王様の軍隊が怖くて仕方なく農奴をしている」という人ばかりでは、決して封建制度は保てません。
「王様が統括する」ことも、「農民が農耕する」ことも、みんながそうするものだと考えているからこそ保たれるシステムです。
「そうすることがよいことだ」とか「そうすることがあるべき姿だ」と考えてないと維持できるはずがない。
この、みんなが「そうするものだ」と考えている事柄の集大成こそがパラダイムなのです。社会システムとパラダイムが表裏一体であることが、お分かりいただけたでしょうか。
◆古代科学帝国の限界
モノの豊かな時代の特徴は「写実美術」と「科学する心」です。
ギリシャ・ローマの写実美術。
インドやギリシャの医学・農学・数学・論理科学。
モノの豊かな時代は、モノそのものをよく見、観察することから、こういった美術や科学が生まれます。科学の発達は、より多くのモノ、より珍しいモノ、より便利なモノを生むきっかけにもなるわけですから、ますます相乗効果で科学に心が動き、モノが豊かになっていきました。
また、農業革命以前の部族社会が祭祀的であったのに対し、モノの豊かな時代は領主の役割も現実的です。
古代の国家の役割は、軍事のほかに、治水・利水・道路・港湾・水路などの公共事業、物価の安定、等価交換の保証、税制の公正化といった立法や経済政策が大きなものでした。教育以外は、およそ現代の国家とほぼ同じだといえます。章の冒頭で紹介した古代都市シバームも、こんな時代の産物なのです。
古代社会は、奴隷制や教育といったこと以外、現代社会と大変よく似たパラダイムを持っていました。しかし、やがて飽和状態に達します。
帝国が極大化した時、とうとうフロンティアは失われました。彼らの国境の外側には不毛の砂漠か、極寒の原始林か、住むに堪えない熱帯雨林しか残らなかったのです。
農耕が不可能な土地を領土として獲得しても、防衛のための費用がかさむばかりです。
しだいに帝国拡張の意味は失われて、領土は増えなくなります。領土が増えない=農地には限界がある、という意味です。そこから生産される食糧も、それによって維持できる自由市民や奴隷の数も、おのずと限られてきます。
古代社会の「成長の限界」で、もう一つ見逃せないのはエネルギー不足です。
当時唯一のエネルギー源だった森林資源が枯渇し始めたのです。
高度成長に伴う乱伐によって森林が消え、乾いた土地になってしまいました。このため公共事業も農機材の生産も、船や建物の建造も一挙に衰退します。ローマ帝国の没落の原因は、こんなところにもあったと言われています。
モノの豊かな古代は終わりを告げ、モノ不足の中世へと入っていきました。
こうした現実の変化は、古代人たちのパラダイムを大きく揺さぶりました。実際にフロンティアがなくなったり森林資源が不足し始めたための不都合だけならば、それほど急激なパラダイムシフトは起きる必要がないはずです。
が、現実はそうではありませんでした。
こういった変化を過剰に感じとり「モノヘの関心・欲求」を、肯定的イメージから否定的イメージに急激に変化させてしまったのです。
◆「モノ不足・時間余り」の中世
次に訪れた中世文明は、人間のやさしい情知によって選びとられた「モノ不足・時間余り」いう、新しいパラダイムの時代となりました。
中世は宗教に縛られた不自由な時代、というイメージが強いのですが、決してそれだけではありません。
確かに、ヨーロッパはキリスト教に、中近東などはイスラム教に、アジアは仏教に支配されました。それぞれ戒律も厳しく、支配力は絶大でした。しかし、それら宗教は実は古代文明からはずれた”遅れた土地”で生まれ、文明の地に輸入されています。
つまり、古代人たちは自分たちの手で、こういった宗教を選びとったのです。
それは、フロンティアを失い、エネルギー危機を感じとった古代人たちが「モノの豊かさではなく心の豊かさ」を求めるようになったからだ、とも言えるでしょう。
さて、中世の特色は「モノ不足・時間余り」です。
意外なことに中世の人たちにとって、”勤勉”とは泥棒と同義の犯罪的行為でした。というのは、一人がたくさん働けば、結果的に他の人の土地や資源を奪うことになるからです。中世の人々は、いくら働いても貧乏な可哀想な人々ではありません。「貪欲は悪」という価値観に生きていたのです。
そのため、中世の一般市民は冬はほとんど働かず、夏でも日曜のほかにたくさんの休・祭日を持っていました。
ローマ帝国の最末期ですら、平均週休四日だったのです。これが本格的中世になると、もう本当に人々は働きませんでした。
たとえばフランスの農民は、冬の三ヵ月は全く働かず、夏季もいろんな理由をつけて休日だらけでした。おまけに村単位、職能ギルド単位で労働時間を厳格に決め、抜け駆けの働きは厳しく罰せられました。中世においては、「働くべき時に働かない」よりも、「働くべきでない時に働く」方が、ずっと重い罪だったのです。
また王侯貴族や当時急増した聖職者など、ほとんど働かない人々が大勢いました。
働かずに済むといえば楽しそうに聞こえるかもしれませんが、余った時間で別に遊べるわけではありません。遊ぶ、というのは食べたり飲んだり、着飾ったり旅行したり、とにかく消費を伴うからです。そんな余裕は中世にはありません。
というわけで、中世は極端な「モノ不足・時間余り」の時代だったのです。「不足するモノを節約し、有り余る時間をいっぱい使う」生き方として中世の人々が尊敬し、あこがれたのは「清貧な思索家」です。
ヨーロッパでも「貧者ピエール」など、物欲に縛られない態度が尊敬されました。十字軍に遠征した夫の無事を祈り、何年も下着を脱がずに「セピア色」の語源になったセピア夫人は、あまりに有名です。
そして、有り余った時間をいっぱい使って宗教的研究に没頭しました。
科学や実験といった、現実と関連するものではありません。魔女の研究や、デフォルメされたマリア像など、現実的なものとは無関係の、抽象的・心象的なものなのです。
中国でも、晋朝以降の貴族は、詩と酒に酔い、政務を顧みず、ほとんど働きませんでした。中には田舎に引っ越してしまい、世捨て人になって詩を読んで暮らす聖人もいて、これがまた「竹林の七賢」などと呼ばれて、みんなの尊敬を集めたりしました。
中世には、こういった聖人が尊敬され、高い地位に就けたのです。
身分や報酬も、こういった尊敬や血筋によって決められました。いかによく働いたか、いかに生産性を上げたかといったことはマイナス評価にこそなれ、プラスに評価されることはありませんでした。たとえ頑張って生産性を上げても、それは神様の思し召しとしか考えてもらえないのです。
古代社会では常識だった、経済の等価交換の原則も崩れてしまいました。
同じ商品も相手の身分や売り手の機嫌、かけひきによって、全く値段が変わってしまうのです。貧乏人にはタダにしてやったり、尊敬する人には安くしたり、気に入らない人には高くしたり。せっかく古代人がつくり上げた統一経済や、自由競争市場も失われてしまいました。そして、それを惜しむ人は、だれ一人いなかったのです。
◆高度抽象文明
モノヘの関心が低かった中世の文化の特色は、その高度な抽象性にあります。
彼らは言葉や数値による正確で具体的な表現よりも、抽象的・感覚的表現で雰囲気を伝えようとしました。
中世の宗教はどれも、光・音・色など感覚的な要素をうまく融和させたトータルメディアとして見事に設計されています。
キリスト教教会では、意味不明のラテン語の聖書、エコーがかかる建築構造、高い天井からステンドグラスを通して落ちる様々な色の光、暗闇に消える視界、壁や扉の宗教的レリーフ、これらすべてで神秘的な感動がわき上がるように演出されています。
中国の仏教、インドのヒンズー教も同じように幻想的な雰囲気で信者をトリップさせる寺院を建築しました。
偶像を完全に否定したイスラム教のモスクも、複雑な幾何学模様と、コーランの高唱という総合芸術の世界です。具体的な言葉や数字を否定して、抽象的・印象的な総合芸術へ移行したということが、「モノ不足・時間余り」の中世におけるパラダイムシフトを最もよく表していると言えるでしょう。
◆産業革命前夜の風景
それでは第二の波、産業革命における社会変化と、それに伴うパラダイムシフトを見てみましょう。
まず第二の波、産業革命が起こったのは中世ヨーロッパでした。
いわゆる暗黒の中世と呼ばれる時代のヨーロッパ。第一の波、農業を社会基盤とする封建制度は、ヨーロッパ全土にくまなく行きわたり、ヨーロッパは小国の集まりとして(比較的)安定を保っていました。
収穫量には上限がありますから、ある程度以上には人口は増えず、封建制度による職業人口比率も、バランスの良いところで安定していました。
もちろん悪天候による飢饉や、急な伝染病で人口が激減することも周期的にありましたが、順調な時にはまた、徐々に人口は戻りました。
隣国同士、多少の衝突はありましたが、強力な王が現れてヨーロッパを統一するといったこともなく、おおむね平和でした。
そんな時代ですから、いくら封建制度といっても王様は、パッとしません。
もともと蛮族や、隣国の侵略から自分たちを守ってくれるための王様ですから、平和になって役目を終えれば、ありがたみも減るというものです。
「今日食べるもの」の心配も、蛮族から食料が奪われる心配も、あまり気にしなくてよくなった人々にとって、最も大きな関心事は病気で死ぬことです。
なぜ病気になるのか。
なぜ死なねばならないのか。
死んだらどうなるのか。
死ぬのは怖い、病気は怖い、ケガは怖い。
その当時は、ほとんどまともな医者もいず、医学知識もなく、家族や自分が病気になってもケガをしても、なすすべはありませんでした。そんな人々にとって、病気やケガで死ぬことほど不安で恐ろしいことはなかったでしょう。
医者?衛生や感染の基礎知識もなかった時代です。
医者にかかっても助かりません。逆に血を抜かれて死期が早まったりしてしまうのは庶民の常識でもありました。
死や病気から、誰も逃れることはできない。
その不安や恐怖をやわらげてくれたのが、王様に代わる彼らのヒーロー、神父様だったのです。
中世ヨーロッパはキリスト教に支配された、暗黒の時代といわれています。
しかしそれは、産業革命という「引き返せない楔」を経て、われわれ現代人が中世の人たちの価値観を理解しにくくなっているからです。
その当時そこに住んでいた人にとっては、「キリスト教」も「暗黒」も、そんな客観的な基準はなかったでしょう。あるのは教会と神父様だけです。
神父様は「大丈夫、死んだら天国へ行ける」と言ってくれました。
「神様に召されるのだから怖くない」と励ましてくれました。
立派な教会で、立派な神父様が分厚い聖書を手に、おごそかな声で話してくれるありがたいお話を聞いているとほっとします。
この前死んでしまったおじいさんも、天国で自分を待っていてくれるだろうか、と考えたりもします。少々辛いことがあっても、感謝の気持ちを持って頑張ろうと思ったりもします。
神父様は立派な人です。
家のない者を泊めたり、スープを飲ませたりもしてくれます。
なんでも遠い町まで行って、神様の勉強をしてきたそうです。病気の時には家へ来て見舞ってくれます。だれかが臨終の時には必ず来て懺悔(ざんげ)をさせ、天国に召されるようにしてくれます。
丘の上の教会の塔を見ながら、「ちゃんとした教会のある村に生まれて、本当によかった。これも神様の思し召しだ」と感謝で胸がいっぱいになります。
これが熱血信者A君の心です。
どこが暗黒でしょうか。
「死んだらどうなるのか分からない。怖い怖い」と考えている私たちの方が、彼らから見ればよほど人生真っ暗に見えるかもしれません。
当時の人々は多かれ少なかれ、A君のように考えていました。
「死んだあとなんてどうでもいい」とか「天国なんてあるわけない、死んだら全部終わりさ」と考えられるほど勇気のあるヒネクレ者は、ほとんどいませんでした。
不信心者という言葉がありますが、不信心の人が神様や天国の存在を信じていなかったわけではありません。
そうではなくて「分かってはいるけど、つい」というやつなのです。「朝晩お祈りしなさい」と言われているけど、つい面倒くさくて、一回ぐらいとサボッてしまう。これが不信心者なのです。
なんせ、そのころのみんなの関心事は天国があるかないかではなく、天国へ行けるかどうかだったのですから。
こうしてキリスト教は、ヨーロッパの人々の生活の基盤となりました。
どんな小さい村にも、小さいなりの教会が建てられました。
大きな町には、みんなの心血を注いだ立派な教会が建てられました。
日曜日に教会へ行かないのは、よほどの変わり者か、教会もないほどのド田舎に住んでいる人だけでした。
みんな暇さえあれば祈りました。
というより、無理やり時間をつくってでも祈ったのです。
また、少しでも経済的に余裕があれば教会へ寄付したり、自分より貧しい人々に施しをしました。余裕がない家も、少し食べるものを我慢してでも施しをしました。
施しをしたために貧しくなるのは、立派なことだったのです。
◆「科学」はキリスト教から生まれた
ところが十八世紀、社会は大きく変化します。
物欲を憎み、モノを軽んじる中世人たちが、あらゆる努力で世の中をますますモノ不足に追い込んでいたことは水泡に帰してしまいました。
十五世紀の新大陸発見による、有限感・閉塞感の払拭。
世界航路発見による、新たな通商開拓。
そして、真打ち登場、とばかりにとうとう産業革命がやってきたのです。これにより「モノ余り・時間不足」の時代がやってきました。
なにが潤沢で、なにが不足しているか。
これが切り替わってしまうと、社会は大きく変化します。
ふたたび、パラダイムシフトの時が迫ってきました。
産業革命によって「モノ余り・時間不足」という古代と同様の状況が、よりバージョンアップして急スピードで起こりました。
一時的に飽和状態に見えた工業化は新大陸への展開によって、あらたな「市場」と「資源」を得ました。
大量の石油資源の発見と、その応用技術の発達によって、高度経済成長が歴史上見られなかったほどのハイスピードで進行したのです。
そもそもは、キリスト教から独立した科学の発展によってすべてが始まりました。
西欧科学自体は、実はキリスト教から生まれたものです。
「神様がこの世界をお造りになったのだから、この世界は素晴らしい秩序で満ちているに違いない。その秩序を見つけて、神様の御わざを讃えよう」
これが科学の原初の姿です。
「そんな秩序など見つけなくても、神様がスゴイのは分かっている。そんなことする暇があったら真面目に祈ってろ」という主流派のイジメに遭いながらも、熱心な彼らは研究を続けました。
これら研究の成果がメンデルの遺伝の法則だったり、万有引力だったり、ケプラーの法則だったりするのです。これらの発見はたいてい、神様を信じ、神の御わざを見ようという敬虔(けいけん)な信者たちによってなされたのです。
ところが、このような科学の成果によって、人々の暮らしは徐々に変わり始めました。
「科学や、発明の力で人々は幸せになれる」
みんな、そう思い始めました。その結果、キリスト教は昔のように絶対の権威を保てなくなってしまったのです。
キリスト教から生まれた科学が、キリスト教自身を否定してしまう。
皮肉なことですね。
産業革命の始まりとなった蒸気機関の原型、「メコン機関」もまた、敬虔なキリスト教牧師たちの手で、神の御名を讃えるために発明されたそうです。しかし人々はもう、そこに神の偉大さを見はしませんでした。新時代の到来を約束する、巨大な力、「科学」を見たのです。
蒸気機関車、紡績機、自動織機、無線機、蒸気船。
その他、無数のものが発明され、産業博、万国博が各地で催されました。
エレベーター、ガラスと鉄のお城、世界中の珍しい特産物。
それらのものを、次々と見せられた人々は、もう科学の生み出す成果と、その可能性に夢中になってしまったのです。
こうして神様の素晴らしさを証明するためのものだったはずの科学は、あっという間に”神様に代わるヒーロー”になりました。1章で述べたように、人々は科学の力が自分たちを幸せにしてくれると考えるようになったのです。
もう神様に頼って死んでから天国に行く、なんて当てにならないことに懸ける必要はありません。
科学がこの世を天国にしてくれるのですから。
◆中世社会の崩壊
今までの身分制度もすっかり崩れてしまいます。
自分も才能さえあれば大発明をしたり、事業を成功させたりして、大金持ちになれるのです。そんなときに”農奴らしく”していても仕方ありません。
教会の力も弱まりました。
人々は祈る時間を削って働くようになりました。
施しのお金を削って次の事業に使ったり、新しい工業製品を買うようになってしまったのです。
人々の考え方も大きく変わりました。
まず今までは、悲しいことも嬉しいことも生まれや育ちも、すべて「神様の思し召し」という考え方でした。それが、「なぜ」という科学的・合理的思考法に変わったのです。
確かに中世ヨーロッパにも、知識や知恵はありました。
たとえば中世ヨーロッパの墓掘り人夫は死体袋を土に埋めるとき、石灰をたっぷりかけます。こうすると死体が腐りにくいのですが、墓掘り人夫が石灰をかける理由は腐りにくいからではありません。それは親方に「死体には石灰をかけるもんだ」と教えられたり、他の墓掘り人夫みんながやっていたからです。
たとえ石灰をかけ忘れるとすぐ腐ってしまう、と知っていても「悪魔は白い粉が嫌いなんだろう」程度にしか考えません。
それどころか、世の中のことに疑問を感じたり、質問したりするのはよくないことです。それは知恵の木の実を食べた人間の、悪い癖と考えられていたのです。
ところが、そう考えずに科学的思考でこの問題にアプローチしてみた人がどんどんあらわれるようになりました。
石灰の代わりに塩や酒や聖水をかけてみたり、顕微鏡で悪魔の正体を見ようとしたりして、最終的には腐敗菌の存在と、殺菌というシステムを考えるにいたるわけです。
このような、原因と結果の間に法則を見いだそうとする考え方が、「合理的思考法」なのです。
現在では、日常的なあらゆる事柄が合理的思考でとらえられています。
乳酸菌を飲むとおなかの働きがよくなるとか、風が山にぶつかると冷やされて雨を降らせるとか。
こういった合理的思考法は、科学技術の発展にはめざましい効果がありました。
が、合理的思考法が幸せだけをもたらすとは限りません。
世の中のあらゆる不都合にはすべて原因があって、きちんと観察し、思考し、実験すれば必ず特定でき、把握できるという考え方は、逆にそうしなければならないというプレッシャーを私たちの心に与えることになりました。
つまり、私たちは永遠に世の中の不都合に関して心配し、考え、本を読まねばならなくなってしまったのです。
◆民主主義・経済主義を生む「科学」
科学は、科学技術の発達や合理的思考法を生み出しました。
同時に、そこから派生して、民主主義や貨幣経済も生み出したのです。
この件に関して少し説明してみます。
民主主義も貨幣経済も、人間とか利益、富といったものを一律に定量的にとらえて考えようという、とてつもなく大胆な発想から生まれました。キリスト教時代では、とても受け入れられそうにない「罪深い」アイデアです。
民主主義は、まず一人一票という思い切り方がすごい。
成人になりさえしたら、まだ仕事もできないヒヨッコも、死にかけの年寄りも、IQ一八〇の天才も、みんな一票。
納税額がいくらであろうと、大会社の社長であろうと、浮浪者であろうとみんな同じ一票なのです。初めて民主主義が登場したときの非難、批判は想像に余りあります。
この一票で何をするかというと、自分たちの代表を選ばせ、票の多い者に政治をさせようというのです。
なんの代表かというと、自分たちの利益の代表です。
たとえば「○○会社の中堅サラリーマンであり、○○市の市民であり、○○国の国民であり、平均的な消費者であり、夫であり二人の子供の父親である自分」の利益を最も守ってくれそうな人を一人選ぶ、というのが民主主義です。
これはみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立つ発想です。つまり、何が自分にとって損か得か、自分は社会に対してどういう態度をとっているのかを、きちんと把握できるのが市民なのです。
また選んだあとも、きちんと自分の利益を守る方向で政治をしてくれるかをマスコミを通じて客観的・科学的に判断し、次回の選挙に活かさなければなりません。
世の中の出来事が神様の思し召しではなく、「どの政治家が何をやったからこうなった」という因果関係から成っているとみんな認識していること。そして、それを読み取れるという前提に立ったシステム。
このように科学から生まれた民主主義は、科学的思想体系なくしては成り立たなかったシステムなのです。
貨幣経済もまた、定量化という科学的発想から成っています。
こちらはすべての「モノ」を、円やドルというお金の単位に換算しよう、という考え方です。「モノ」は食べ物、服といったものそのものだけでなく、労働力やサービス、権利といった目に見えないものまで、考えられるあらゆるものが含まれます。
今まで自分たちが作ったものを食べ、残ったものは施し、残った時間は祈っていた人々です。彼らが「パンひとかたまりと、工場で一時間働くことと、レストランで二時間働くことと、靴下一足が、みんな同じ値打ちだ」と言われても、どうしてもピンと来なかったことでしょう
また、自分たちが一生飲まず食わずで働いても手に入らないものを、神様の思し召しではなく、親が金持ちだというだけで生まれた時から持っている人がいることも、「経済的思考」によって初めて知り得たことなのでした。
この考え方が、みんなに行きわたったりしたら、「農奴」とか封建的身分制なんて、もうだれも信じなくなってしまいます。
すべてのもの、労働は、お金に換算できて、それは交換可能なのです。だったら農奴をやっているということは、タダ働きをしている、という意味になってしまうわけですから。
◆近代のパラダイム
ここでまた、農業革命の時と同じく「引き返せない楔」が発生しました。
未来学者のアルビン・トフラーが命名した「引き返せない楔」というのは、「いったん変わってしまうと元に戻れない社会変化」のことです。
農地から解放された人々は、仕事を求めて都市から都市、工場から工場へ渡り住みます。
その結果、農業社会を支えていた大家族制度は崩壊し、移動に適した「核家族制」が一般的となります。
工場労働者としては適当でない「老人」は、田舎に残すわけですね。
システム化した身分制度は崩壊し、常に平等のチャンスを要求する「市民」が誕生します。
変化は常に「良いこと」になり、宗教は廃れて、他人を出し抜くのが正しい生き方になったのです。
その代わり、だれもが「豊か」になる権利が与えられました。
どんなに手の届かないようなものであろうと、それはただ単に「お金」の問題として解決できるのです。
お金さえ払えば、今までは諦めるしかなかった医療も受けられます。旅行にも行けます。寒い朝も快適になるし、どんなものでも買えるのです。
この世界のすべてのものが、”自分のもの#になる可能性を秘めている、といえましょう。
このような価値観、考え方は、今まで中世の世界に生きていた人たちにとって、圧倒的な魅力として迫ったに違いありません。
引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しい社会システムヘと移行します。
農業革命の時と同じですね。
産業時代の人々は、もう農業時代には戻れません。それどころか身分制度やキリスト教徒時代の人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
「身分制度と無知が支配していた、暗黒の中世」「『本当の自由』を知らない、かわいそうな貧乏人たち」
ああ、また前時代を理解できなくなって、過去を差別しちゃうのです。
産業革命は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会を民主主義、経済主義へと変化させます。これが産業革命の時に起こった、パラダイムシフトです。
この二百年間は、常に「モノ余り・時間不足」を基準にパラダイムがつくられました。このパラダイムは、1章でお話しした科学主義・貨幣経済主義の考え方です。
そして、先ほどお話しした「モノ余り・時間不足」の古代と、大変よく似た特色を持っている社会だとも言えます。
近代のパラダイムとは、モノをもっとたくさん作り出し、もっとたくさん消費することをカッコイイと感じ、時間や人手を節約し効率を上げることを正しいことだと感じる、という方向でかたちづくられています。
商品の規格化・画一化による大量生産。
生産機械や輸送手段の大型化・高速化による効率化。
人手を減らし、機械や資源によって労働を置き換える省力化。
これらすべてがモノ余りを促し、時間不足を助ける方向性を持っています。
モノそのものに関心を持ち、物事を数値的・客観的にとらえる科学主義・経済主義・合理主義が他の考え方を駆逐した時代です。この点も古代と非常によく似ていると言えますね。
あれほど権力を持っていたキリスト教もイスラム教も仏教も、すっかり精彩を失ってしまいました。
宗教は完全になくなったりはしませんでしたが、人々の生活における重要度は著しく下がりました。自ら「無神論者」を名乗る人たちも大勢現れました。
こうして、人々はもっとモノをたくさん使うためにもっとたくさんのモノを作り、それで得たお金でもっとたくさんのモノを買いました。
これが近代のパラダイムです。
◆近代人の生き甲斐
産業革命によって、それまでの封建主義的身分制度が崩れると、世の中は自由経済競争社会となりました。
だれもが金持ちになったり、大勢の人を雇う立場に立ったりできるようになったのです。民主主義制度によって、政治家として支配階級にもなれるようになったのです。
別にみんながいっせいに金持ちや政治家になれるわけではないのですが、チャンスと能力とやる気さえあればトライできるという事実は、それまでの「自分の人生」に対する考え方を大きく変えてしまいました。
それはアメリカンドリームと呼ばれるような、夢が持てる素晴らしいことである一方で、不安や不満や自己嫌悪も大量に生み出しました。
こうありたいと夢見る自分はお望みのままなのに、現実の自分はそれに全く追いつけない、という人がほとんどなのですから。
それでも科学が世の中を便利にし、人々の生活を豊かにし続けている間は、人々はずっと幸せでした。
自分が自分の力で自分の家庭を豊かにしていると考えられたからです。そして自分の働きが、この社会の発展の一端を担っていると考えられたからです。
自分は「神様の思し召しでこの世に生まれ、やがて神様の思し召しで天国に召されるか、地獄に落とされるのだ」と考えているのとは、なんという違いでしょう。
中世において自分とは、自分でもどうにもならないもの、この世に何もできないちっぽけで罪深いものだったのですから。
◆「国民教育」の正体
さて、科学はまた、人々にキリスト教の代わりに「物事を論理的に解明する」という方法論を教育しました。その効果は絶大で、あっというまに蒸気機関や電気の発明されました。
それからは皆さんもご存じの通りです。
蒸気機関車から電気、電話と次々に発明され、人々の生活は大きく変わりました。
それまであらゆることが土地中心、農業中心に組まれていたのに、都市中心、工場中心の生活へと変化したのです。
人々は畑を捨て、都市に出てきて工場で働くようになりました。
今まで家族で協力して畑仕事を行っていたのが、お父さんは工場へ働きに出かけ、お母さんは家事と育児を担当するようになりました。つまり「家庭」と「仕事」という考え方が生まれたのです。
工場でやっている「分業」という概念が、私たちの日常生活まで入ってきました。日常まで工業化され分業された世界、それが「母が待つ暖かい家庭」なのです。
今まで自分たちで作ったものを自分たちで食べていたのが、生産と消費という二つに分かれてしまいました。
工場中心という発想は、教育システムまで大きく変えてしまいました。
十九世紀のイギリスの社会学者、アンドリュー・ウールは次のように述べています。
「いったん成長期を過ぎてしまったら、農民の子でも職人の子でも、優秀な工場労働者に仕立てるのは不可能である。若者を、あらかじめ産業制度用に育てられれば、あとの仕込みの手間が大幅に省ける。
すなわち公共教育こそ、産業社会には不可欠である」
これに関して、トフラーはこのように分析しています。
「工場での労働を想定して、公共教育は基礎的な読み書き算数と歴史を少しずつ教えた。だがこれは、いわば『表のカリキュラム』である。その裏には、はるかに大切な裏のカリキュラムが隠されている。
その内容は三つ。今でも産業主導の国では守られている。
時間を守ること、命令に従順なこと、反復作業を嫌がらないこと。
この三つが、流れ作業を前提とした工場労働者に求められている資質だ」
今、私たちみんなが受けてきた義務教育には、実はこんな目的があったのです。
義務教育の目的として、最も大切なことは知識の修得ではなくて、集団生活を学ぶことだ、とはよく言われることです。
が、「集団生活を学ぶ」というのは、実は工場で機械的な集団作業をこなすための練習だったのです。つまり流れ作業員養成用特別システムです。
こうして、日曜には教会に行き、普段は家族から少しずつ農作業を教わるだけだった子供たちは全員、数年もかかる流れ作業員養成講座を受けることになりました。そしてその成果はめざましく、次々と造られる工場の優秀な工員として、彼らは続々と育っていったのです。
◆近代人の苦悩
思考法だけでなく、「自分」というものに対する考え方も、大きく変わりました。
中世ヨーロッパでは、「自分」は神様の思し召しで生まれてきて、神様の思し召しで天に召される存在でした。神様という、いわば他人まかせのものだったのです。
神様によって農民の子として生まれてきたのだから、「なぜ農民じゃなきゃいけない?」と考えたりはしません。それよりは、農民としてちゃんと生きること、その中でいかに一生懸命祈ったり、施しを与えたりするか、が頑張りどころ、プライドの置きどころだったのです。
が、産業革命以後、これは全く変わってしまいました。
自分がどんな自分であるかは、自分自身で考えて決める、他人まかせにはしないというのが、現在の当たり前の考え方です。
自分で決めるといっても、その時その時で好き勝手をやるというのではありません。自分はどうあるべきか、自分にとってなれそうな立派な自分とはどんな自分かを考え、それを目標に頑張るということです。
こういう「あるべき自分をちゃんと思い描いて頑張っている人」のことを、「自我が確立している人」と呼びます。
みんなが行くから大学へ行く、みんながなるからサラリーマンになる、ではいけない。
そうではなく、「人間は社会に貢献しなければいけない」という自分の考えと自分の能力を考えて、サラリーマンを選んだり医者になったり警察官になったりするべきだ、という考え方です。
これはもちろん職業だけでなく、あるべき夫や妻の姿であったり、あるべき父親像・母親像であったり、あるべき国民の姿であったりもします。
産業革命以降、ヨーロッパやアメリカでは、特にこういう「自我の確立」が何よりも大切だとされました。
幸福の追求とは、神が与えてくれるものではなく、個人が目指す「責任」になってしまった。
「不幸」とは本人の能力や努力不足が原因であり、これまた当人の責任になってしまう。
「神様が決めた通りに生きる」という枷(かせ)がなくなったぶん、一人一人が自発的に立派であってもらう以外、社会秩序を保つ方法は一つもないのですから、当然のことでしょう。
しかしそれはまた、とんでもなく難しく、面倒くさいことだったのです。
この結果、現代の私たちは社会ストレスや、精神病、神経衰弱といった「近代人の勲章」を持つことになってしまいました。
だって、自分が貧乏な理由、物事がうまくいかない理由、人から尊敬してもらえない理由まで、全部自分のせいなのですから。
みんなが豊かさを目指せる社会、とはもう一つの意味を含んでいます。
豊かでない自分は負け犬である、ということです。
ふう、疲れた。
今日はここまで。
じゃ、また明日ね。
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この時代の人々にとって、一番基本になる考えは「身分」です。
今の我々からは理解するのが難しいのですが、身分制度というのは「身分があるのが当然」という社会です。「自分は農奴だ」とか「自分は領主だ」とか「商人だ」という大変はっきりとした自分のポジションに、疑問を持たない。
それまでの、とにかくその日食べるもので頭がいっぱいで、「自分とは○○である」というような意識が全くなかったころに比べると、大きな差があります。
農奴は農奴として、ちゃんと畑を耕し、作物を作るのが”あるべき姿”です。
いくら働くのがいやだったり、凶作が続いて貧しくても、農地や身分を捨てて森で獣を追って暮らすなんてできません。それは罪深く、おまけに恥ずかしいことになってしまいました。
職業選択の自由、なんて発想はありません。「農奴」という身分があるからこそ、自分は社会の一員である、という(低いながらも)立場や保証が得られたのです。身分を持って生まれないのは、蔑むべき未開人なのですから。
領主もまた、領主らしくあるのが良いことです。
ちゃんと自分の領土を守り、できれば領土を広げるのが立派な領主のすることです。そのために税率の調整をしたり、灌漑(かんがい)工事をさせたり、兵隊をそろえて戦いを仕掛けたりします。
今の私たちは、つい「領民のために尽くす領主」「領民の幸福を考える領主」が、立派な領主と考えがちですが、これは大間違い。
そんな考えは領主はおろか、領民だって不幸にしてしまいます。
確かに年貢率を上げすぎて領民の半分が飢え死にしてしまっては、話にすらなりません。しかし、年貢が低すぎて下手に領民の間で食料が余っても、揉め事のタネになるだけです。
耕作できる農地の面積は、限られているのです。なのに領民たちに必要以上の食料を与えてしまったら、人口が爆発的に増え、数年後には飢饉となってしまうかもしれません。
身分制度社会では、新しいことは何もしない方がいいのです。新しいことは、その時には素晴らしい考えに見えても、あとでどんな災難を呼んでくるか分かりません。
だいたい、よその領主より年貢の率が低くても、特に領民の忠誠心が上がったりはしませんし、別に忠誠心が上がっても、別に良いことはないのです。
自分の一挙手一投足に注目されて、それによって尊敬や忠誠されるというのはあまりに不安定すぎます。それよりも余った食料や労働力を使って、立派な城やバカでかい墳墓を造ったりした方が、よほど領主としての威信も保てるというものです。
このように、農業が起きると、そこには身分が生まれます。世界中で、それぞれ似たような世襲の社会制度が誕生していきました。
みんな、生まれた土地で生まれながらの身分を守って、一生を過ごすようになりました。もう今日食べるものを求めて走り回ったり、毎日毎日飢えの恐怖と闘う必要はなくなったのです。他の部族と命を懸けて食料を奪い合ったりする必要もなくなったのです。
なんと素晴らしいことでしょう!
狩猟民族から見れば、勇気をなくし自分たちの「カミ」にそむく行為に見える農耕生活ですが、一度この居心地の良さを知ってしまうと、肉体的にも精神的にもあっという間に引き返せなくなってしまいます。
農耕を始めて一年もたてば、狩りをする脚力はすっかり衰えてしまいます。数十年もたてば、狩りをするノウハウそのものが忘れ去られてしまうでしょう。そうなってから狩猟生活に戻ろうとしても、わざわざ飢え死にするようなものです。
◆引き返せない楔
いったん変わってしまうと元に戻れない。このような社会変化を、トフラーは「引き返せない楔(くさび)」と呼びました。
狩猟社会では自由に移動していた人々も、農地から離れることができなくなります。
システム化した身分制度に生涯、縛られます。
変化を嫌う気風が一般的となり、アニミズムの「カミ」は廃れて、王や貴族、身分制を肯定する「宗教」を押しつけられます。
その代わり、もう今日の食べ物を心配しなくてもいいのです。
農地に縛られようと、毎年秋には収穫があることが、はっきりしているのですから。
身分が固定されたおかげで、機(はた)を織ったり農具を作る”専門家”が生まれ、生活は比べものにならないほど良くなりました。
安息日に行く目も眩(くら)むほどの教会や、王様の住んでいる立派なお城が、まるで自分のことのように誇らしく思えます。
このように引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しいシステムヘと移行します。
農業時代の人々は、もう狩猟時代には戻れません。それどころか狩猟生活をしている人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
「その日暮らしの生活をするのは、野蛮人だけだ」
「身分も持っていない、祝福されていないヤツら」
全く、人間というのは仕方がない生き物ですね。
システムの変化は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会全体を変化させます。これが農業革命の時に起こった、パラダイムシフトなのです。
農業革命によって生まれた身分制度は、新しい社会制度ですが、同時に全く新しいパラダイムでもあるのです。
封建時代とは、王様が威張っていて農民は耐えていた時代、というイメージが何となくあります。
でも考えてみたら、「自分が畑仕事をする理由なんて一つもないけど、王様の軍隊が怖くて仕方なく農奴をしている」という人ばかりでは、決して封建制度は保てません。
「王様が統括する」ことも、「農民が農耕する」ことも、みんながそうするものだと考えているからこそ保たれるシステムです。
「そうすることがよいことだ」とか「そうすることがあるべき姿だ」と考えてないと維持できるはずがない。
この、みんなが「そうするものだ」と考えている事柄の集大成こそがパラダイムなのです。社会システムとパラダイムが表裏一体であることが、お分かりいただけたでしょうか。
◆古代科学帝国の限界
モノの豊かな時代の特徴は「写実美術」と「科学する心」です。
ギリシャ・ローマの写実美術。
インドやギリシャの医学・農学・数学・論理科学。
モノの豊かな時代は、モノそのものをよく見、観察することから、こういった美術や科学が生まれます。科学の発達は、より多くのモノ、より珍しいモノ、より便利なモノを生むきっかけにもなるわけですから、ますます相乗効果で科学に心が動き、モノが豊かになっていきました。
また、農業革命以前の部族社会が祭祀的であったのに対し、モノの豊かな時代は領主の役割も現実的です。
古代の国家の役割は、軍事のほかに、治水・利水・道路・港湾・水路などの公共事業、物価の安定、等価交換の保証、税制の公正化といった立法や経済政策が大きなものでした。教育以外は、およそ現代の国家とほぼ同じだといえます。章の冒頭で紹介した古代都市シバームも、こんな時代の産物なのです。
古代社会は、奴隷制や教育といったこと以外、現代社会と大変よく似たパラダイムを持っていました。しかし、やがて飽和状態に達します。
帝国が極大化した時、とうとうフロンティアは失われました。彼らの国境の外側には不毛の砂漠か、極寒の原始林か、住むに堪えない熱帯雨林しか残らなかったのです。
農耕が不可能な土地を領土として獲得しても、防衛のための費用がかさむばかりです。
しだいに帝国拡張の意味は失われて、領土は増えなくなります。領土が増えない=農地には限界がある、という意味です。そこから生産される食糧も、それによって維持できる自由市民や奴隷の数も、おのずと限られてきます。
古代社会の「成長の限界」で、もう一つ見逃せないのはエネルギー不足です。
当時唯一のエネルギー源だった森林資源が枯渇し始めたのです。
高度成長に伴う乱伐によって森林が消え、乾いた土地になってしまいました。このため公共事業も農機材の生産も、船や建物の建造も一挙に衰退します。ローマ帝国の没落の原因は、こんなところにもあったと言われています。
モノの豊かな古代は終わりを告げ、モノ不足の中世へと入っていきました。
こうした現実の変化は、古代人たちのパラダイムを大きく揺さぶりました。実際にフロンティアがなくなったり森林資源が不足し始めたための不都合だけならば、それほど急激なパラダイムシフトは起きる必要がないはずです。
が、現実はそうではありませんでした。
こういった変化を過剰に感じとり「モノヘの関心・欲求」を、肯定的イメージから否定的イメージに急激に変化させてしまったのです。
◆「モノ不足・時間余り」の中世
次に訪れた中世文明は、人間のやさしい情知によって選びとられた「モノ不足・時間余り」いう、新しいパラダイムの時代となりました。
中世は宗教に縛られた不自由な時代、というイメージが強いのですが、決してそれだけではありません。
確かに、ヨーロッパはキリスト教に、中近東などはイスラム教に、アジアは仏教に支配されました。それぞれ戒律も厳しく、支配力は絶大でした。しかし、それら宗教は実は古代文明からはずれた”遅れた土地”で生まれ、文明の地に輸入されています。
つまり、古代人たちは自分たちの手で、こういった宗教を選びとったのです。
それは、フロンティアを失い、エネルギー危機を感じとった古代人たちが「モノの豊かさではなく心の豊かさ」を求めるようになったからだ、とも言えるでしょう。
さて、中世の特色は「モノ不足・時間余り」です。
意外なことに中世の人たちにとって、”勤勉”とは泥棒と同義の犯罪的行為でした。というのは、一人がたくさん働けば、結果的に他の人の土地や資源を奪うことになるからです。中世の人々は、いくら働いても貧乏な可哀想な人々ではありません。「貪欲は悪」という価値観に生きていたのです。
そのため、中世の一般市民は冬はほとんど働かず、夏でも日曜のほかにたくさんの休・祭日を持っていました。
ローマ帝国の最末期ですら、平均週休四日だったのです。これが本格的中世になると、もう本当に人々は働きませんでした。
たとえばフランスの農民は、冬の三ヵ月は全く働かず、夏季もいろんな理由をつけて休日だらけでした。おまけに村単位、職能ギルド単位で労働時間を厳格に決め、抜け駆けの働きは厳しく罰せられました。中世においては、「働くべき時に働かない」よりも、「働くべきでない時に働く」方が、ずっと重い罪だったのです。
また王侯貴族や当時急増した聖職者など、ほとんど働かない人々が大勢いました。
働かずに済むといえば楽しそうに聞こえるかもしれませんが、余った時間で別に遊べるわけではありません。遊ぶ、というのは食べたり飲んだり、着飾ったり旅行したり、とにかく消費を伴うからです。そんな余裕は中世にはありません。
というわけで、中世は極端な「モノ不足・時間余り」の時代だったのです。「不足するモノを節約し、有り余る時間をいっぱい使う」生き方として中世の人々が尊敬し、あこがれたのは「清貧な思索家」です。
ヨーロッパでも「貧者ピエール」など、物欲に縛られない態度が尊敬されました。十字軍に遠征した夫の無事を祈り、何年も下着を脱がずに「セピア色」の語源になったセピア夫人は、あまりに有名です。
そして、有り余った時間をいっぱい使って宗教的研究に没頭しました。
科学や実験といった、現実と関連するものではありません。魔女の研究や、デフォルメされたマリア像など、現実的なものとは無関係の、抽象的・心象的なものなのです。
中国でも、晋朝以降の貴族は、詩と酒に酔い、政務を顧みず、ほとんど働きませんでした。中には田舎に引っ越してしまい、世捨て人になって詩を読んで暮らす聖人もいて、これがまた「竹林の七賢」などと呼ばれて、みんなの尊敬を集めたりしました。
中世には、こういった聖人が尊敬され、高い地位に就けたのです。
身分や報酬も、こういった尊敬や血筋によって決められました。いかによく働いたか、いかに生産性を上げたかといったことはマイナス評価にこそなれ、プラスに評価されることはありませんでした。たとえ頑張って生産性を上げても、それは神様の思し召しとしか考えてもらえないのです。
古代社会では常識だった、経済の等価交換の原則も崩れてしまいました。
同じ商品も相手の身分や売り手の機嫌、かけひきによって、全く値段が変わってしまうのです。貧乏人にはタダにしてやったり、尊敬する人には安くしたり、気に入らない人には高くしたり。せっかく古代人がつくり上げた統一経済や、自由競争市場も失われてしまいました。そして、それを惜しむ人は、だれ一人いなかったのです。
◆高度抽象文明
モノヘの関心が低かった中世の文化の特色は、その高度な抽象性にあります。
彼らは言葉や数値による正確で具体的な表現よりも、抽象的・感覚的表現で雰囲気を伝えようとしました。
中世の宗教はどれも、光・音・色など感覚的な要素をうまく融和させたトータルメディアとして見事に設計されています。
キリスト教教会では、意味不明のラテン語の聖書、エコーがかかる建築構造、高い天井からステンドグラスを通して落ちる様々な色の光、暗闇に消える視界、壁や扉の宗教的レリーフ、これらすべてで神秘的な感動がわき上がるように演出されています。
中国の仏教、インドのヒンズー教も同じように幻想的な雰囲気で信者をトリップさせる寺院を建築しました。
偶像を完全に否定したイスラム教のモスクも、複雑な幾何学模様と、コーランの高唱という総合芸術の世界です。具体的な言葉や数字を否定して、抽象的・印象的な総合芸術へ移行したということが、「モノ不足・時間余り」の中世におけるパラダイムシフトを最もよく表していると言えるでしょう。
◆産業革命前夜の風景
それでは第二の波、産業革命における社会変化と、それに伴うパラダイムシフトを見てみましょう。
まず第二の波、産業革命が起こったのは中世ヨーロッパでした。
いわゆる暗黒の中世と呼ばれる時代のヨーロッパ。第一の波、農業を社会基盤とする封建制度は、ヨーロッパ全土にくまなく行きわたり、ヨーロッパは小国の集まりとして(比較的)安定を保っていました。
収穫量には上限がありますから、ある程度以上には人口は増えず、封建制度による職業人口比率も、バランスの良いところで安定していました。
もちろん悪天候による飢饉や、急な伝染病で人口が激減することも周期的にありましたが、順調な時にはまた、徐々に人口は戻りました。
隣国同士、多少の衝突はありましたが、強力な王が現れてヨーロッパを統一するといったこともなく、おおむね平和でした。
そんな時代ですから、いくら封建制度といっても王様は、パッとしません。
もともと蛮族や、隣国の侵略から自分たちを守ってくれるための王様ですから、平和になって役目を終えれば、ありがたみも減るというものです。
「今日食べるもの」の心配も、蛮族から食料が奪われる心配も、あまり気にしなくてよくなった人々にとって、最も大きな関心事は病気で死ぬことです。
なぜ病気になるのか。
なぜ死なねばならないのか。
死んだらどうなるのか。
死ぬのは怖い、病気は怖い、ケガは怖い。
その当時は、ほとんどまともな医者もいず、医学知識もなく、家族や自分が病気になってもケガをしても、なすすべはありませんでした。そんな人々にとって、病気やケガで死ぬことほど不安で恐ろしいことはなかったでしょう。
医者?衛生や感染の基礎知識もなかった時代です。
医者にかかっても助かりません。逆に血を抜かれて死期が早まったりしてしまうのは庶民の常識でもありました。
死や病気から、誰も逃れることはできない。
その不安や恐怖をやわらげてくれたのが、王様に代わる彼らのヒーロー、神父様だったのです。
中世ヨーロッパはキリスト教に支配された、暗黒の時代といわれています。
しかしそれは、産業革命という「引き返せない楔」を経て、われわれ現代人が中世の人たちの価値観を理解しにくくなっているからです。
その当時そこに住んでいた人にとっては、「キリスト教」も「暗黒」も、そんな客観的な基準はなかったでしょう。あるのは教会と神父様だけです。
神父様は「大丈夫、死んだら天国へ行ける」と言ってくれました。
「神様に召されるのだから怖くない」と励ましてくれました。
立派な教会で、立派な神父様が分厚い聖書を手に、おごそかな声で話してくれるありがたいお話を聞いているとほっとします。
この前死んでしまったおじいさんも、天国で自分を待っていてくれるだろうか、と考えたりもします。少々辛いことがあっても、感謝の気持ちを持って頑張ろうと思ったりもします。
神父様は立派な人です。
家のない者を泊めたり、スープを飲ませたりもしてくれます。
なんでも遠い町まで行って、神様の勉強をしてきたそうです。病気の時には家へ来て見舞ってくれます。だれかが臨終の時には必ず来て懺悔(ざんげ)をさせ、天国に召されるようにしてくれます。
丘の上の教会の塔を見ながら、「ちゃんとした教会のある村に生まれて、本当によかった。これも神様の思し召しだ」と感謝で胸がいっぱいになります。
これが熱血信者A君の心です。
どこが暗黒でしょうか。
「死んだらどうなるのか分からない。怖い怖い」と考えている私たちの方が、彼らから見ればよほど人生真っ暗に見えるかもしれません。
当時の人々は多かれ少なかれ、A君のように考えていました。
「死んだあとなんてどうでもいい」とか「天国なんてあるわけない、死んだら全部終わりさ」と考えられるほど勇気のあるヒネクレ者は、ほとんどいませんでした。
不信心者という言葉がありますが、不信心の人が神様や天国の存在を信じていなかったわけではありません。
そうではなくて「分かってはいるけど、つい」というやつなのです。「朝晩お祈りしなさい」と言われているけど、つい面倒くさくて、一回ぐらいとサボッてしまう。これが不信心者なのです。
なんせ、そのころのみんなの関心事は天国があるかないかではなく、天国へ行けるかどうかだったのですから。
こうしてキリスト教は、ヨーロッパの人々の生活の基盤となりました。
どんな小さい村にも、小さいなりの教会が建てられました。
大きな町には、みんなの心血を注いだ立派な教会が建てられました。
日曜日に教会へ行かないのは、よほどの変わり者か、教会もないほどのド田舎に住んでいる人だけでした。
みんな暇さえあれば祈りました。
というより、無理やり時間をつくってでも祈ったのです。
また、少しでも経済的に余裕があれば教会へ寄付したり、自分より貧しい人々に施しをしました。余裕がない家も、少し食べるものを我慢してでも施しをしました。
施しをしたために貧しくなるのは、立派なことだったのです。
◆「科学」はキリスト教から生まれた
ところが十八世紀、社会は大きく変化します。
物欲を憎み、モノを軽んじる中世人たちが、あらゆる努力で世の中をますますモノ不足に追い込んでいたことは水泡に帰してしまいました。
十五世紀の新大陸発見による、有限感・閉塞感の払拭。
世界航路発見による、新たな通商開拓。
そして、真打ち登場、とばかりにとうとう産業革命がやってきたのです。これにより「モノ余り・時間不足」の時代がやってきました。
なにが潤沢で、なにが不足しているか。
これが切り替わってしまうと、社会は大きく変化します。
ふたたび、パラダイムシフトの時が迫ってきました。
産業革命によって「モノ余り・時間不足」という古代と同様の状況が、よりバージョンアップして急スピードで起こりました。
一時的に飽和状態に見えた工業化は新大陸への展開によって、あらたな「市場」と「資源」を得ました。
大量の石油資源の発見と、その応用技術の発達によって、高度経済成長が歴史上見られなかったほどのハイスピードで進行したのです。
そもそもは、キリスト教から独立した科学の発展によってすべてが始まりました。
西欧科学自体は、実はキリスト教から生まれたものです。
「神様がこの世界をお造りになったのだから、この世界は素晴らしい秩序で満ちているに違いない。その秩序を見つけて、神様の御わざを讃えよう」
これが科学の原初の姿です。
「そんな秩序など見つけなくても、神様がスゴイのは分かっている。そんなことする暇があったら真面目に祈ってろ」という主流派のイジメに遭いながらも、熱心な彼らは研究を続けました。
これら研究の成果がメンデルの遺伝の法則だったり、万有引力だったり、ケプラーの法則だったりするのです。これらの発見はたいてい、神様を信じ、神の御わざを見ようという敬虔(けいけん)な信者たちによってなされたのです。
ところが、このような科学の成果によって、人々の暮らしは徐々に変わり始めました。
「科学や、発明の力で人々は幸せになれる」
みんな、そう思い始めました。その結果、キリスト教は昔のように絶対の権威を保てなくなってしまったのです。
キリスト教から生まれた科学が、キリスト教自身を否定してしまう。
皮肉なことですね。
産業革命の始まりとなった蒸気機関の原型、「メコン機関」もまた、敬虔なキリスト教牧師たちの手で、神の御名を讃えるために発明されたそうです。しかし人々はもう、そこに神の偉大さを見はしませんでした。新時代の到来を約束する、巨大な力、「科学」を見たのです。
蒸気機関車、紡績機、自動織機、無線機、蒸気船。
その他、無数のものが発明され、産業博、万国博が各地で催されました。
エレベーター、ガラスと鉄のお城、世界中の珍しい特産物。
それらのものを、次々と見せられた人々は、もう科学の生み出す成果と、その可能性に夢中になってしまったのです。
こうして神様の素晴らしさを証明するためのものだったはずの科学は、あっという間に”神様に代わるヒーロー”になりました。1章で述べたように、人々は科学の力が自分たちを幸せにしてくれると考えるようになったのです。
もう神様に頼って死んでから天国に行く、なんて当てにならないことに懸ける必要はありません。
科学がこの世を天国にしてくれるのですから。
◆中世社会の崩壊
今までの身分制度もすっかり崩れてしまいます。
自分も才能さえあれば大発明をしたり、事業を成功させたりして、大金持ちになれるのです。そんなときに”農奴らしく”していても仕方ありません。
教会の力も弱まりました。
人々は祈る時間を削って働くようになりました。
施しのお金を削って次の事業に使ったり、新しい工業製品を買うようになってしまったのです。
人々の考え方も大きく変わりました。
まず今までは、悲しいことも嬉しいことも生まれや育ちも、すべて「神様の思し召し」という考え方でした。それが、「なぜ」という科学的・合理的思考法に変わったのです。
確かに中世ヨーロッパにも、知識や知恵はありました。
たとえば中世ヨーロッパの墓掘り人夫は死体袋を土に埋めるとき、石灰をたっぷりかけます。こうすると死体が腐りにくいのですが、墓掘り人夫が石灰をかける理由は腐りにくいからではありません。それは親方に「死体には石灰をかけるもんだ」と教えられたり、他の墓掘り人夫みんながやっていたからです。
たとえ石灰をかけ忘れるとすぐ腐ってしまう、と知っていても「悪魔は白い粉が嫌いなんだろう」程度にしか考えません。
それどころか、世の中のことに疑問を感じたり、質問したりするのはよくないことです。それは知恵の木の実を食べた人間の、悪い癖と考えられていたのです。
ところが、そう考えずに科学的思考でこの問題にアプローチしてみた人がどんどんあらわれるようになりました。
石灰の代わりに塩や酒や聖水をかけてみたり、顕微鏡で悪魔の正体を見ようとしたりして、最終的には腐敗菌の存在と、殺菌というシステムを考えるにいたるわけです。
このような、原因と結果の間に法則を見いだそうとする考え方が、「合理的思考法」なのです。
現在では、日常的なあらゆる事柄が合理的思考でとらえられています。
乳酸菌を飲むとおなかの働きがよくなるとか、風が山にぶつかると冷やされて雨を降らせるとか。
こういった合理的思考法は、科学技術の発展にはめざましい効果がありました。
が、合理的思考法が幸せだけをもたらすとは限りません。
世の中のあらゆる不都合にはすべて原因があって、きちんと観察し、思考し、実験すれば必ず特定でき、把握できるという考え方は、逆にそうしなければならないというプレッシャーを私たちの心に与えることになりました。
つまり、私たちは永遠に世の中の不都合に関して心配し、考え、本を読まねばならなくなってしまったのです。
◆民主主義・経済主義を生む「科学」
科学は、科学技術の発達や合理的思考法を生み出しました。
同時に、そこから派生して、民主主義や貨幣経済も生み出したのです。
この件に関して少し説明してみます。
民主主義も貨幣経済も、人間とか利益、富といったものを一律に定量的にとらえて考えようという、とてつもなく大胆な発想から生まれました。キリスト教時代では、とても受け入れられそうにない「罪深い」アイデアです。
民主主義は、まず一人一票という思い切り方がすごい。
成人になりさえしたら、まだ仕事もできないヒヨッコも、死にかけの年寄りも、IQ一八〇の天才も、みんな一票。
納税額がいくらであろうと、大会社の社長であろうと、浮浪者であろうとみんな同じ一票なのです。初めて民主主義が登場したときの非難、批判は想像に余りあります。
この一票で何をするかというと、自分たちの代表を選ばせ、票の多い者に政治をさせようというのです。
なんの代表かというと、自分たちの利益の代表です。
たとえば「○○会社の中堅サラリーマンであり、○○市の市民であり、○○国の国民であり、平均的な消費者であり、夫であり二人の子供の父親である自分」の利益を最も守ってくれそうな人を一人選ぶ、というのが民主主義です。
これはみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立つ発想です。つまり、何が自分にとって損か得か、自分は社会に対してどういう態度をとっているのかを、きちんと把握できるのが市民なのです。
また選んだあとも、きちんと自分の利益を守る方向で政治をしてくれるかをマスコミを通じて客観的・科学的に判断し、次回の選挙に活かさなければなりません。
世の中の出来事が神様の思し召しではなく、「どの政治家が何をやったからこうなった」という因果関係から成っているとみんな認識していること。そして、それを読み取れるという前提に立ったシステム。
このように科学から生まれた民主主義は、科学的思想体系なくしては成り立たなかったシステムなのです。
貨幣経済もまた、定量化という科学的発想から成っています。
こちらはすべての「モノ」を、円やドルというお金の単位に換算しよう、という考え方です。「モノ」は食べ物、服といったものそのものだけでなく、労働力やサービス、権利といった目に見えないものまで、考えられるあらゆるものが含まれます。
今まで自分たちが作ったものを食べ、残ったものは施し、残った時間は祈っていた人々です。彼らが「パンひとかたまりと、工場で一時間働くことと、レストランで二時間働くことと、靴下一足が、みんな同じ値打ちだ」と言われても、どうしてもピンと来なかったことでしょう
また、自分たちが一生飲まず食わずで働いても手に入らないものを、神様の思し召しではなく、親が金持ちだというだけで生まれた時から持っている人がいることも、「経済的思考」によって初めて知り得たことなのでした。
この考え方が、みんなに行きわたったりしたら、「農奴」とか封建的身分制なんて、もうだれも信じなくなってしまいます。
すべてのもの、労働は、お金に換算できて、それは交換可能なのです。だったら農奴をやっているということは、タダ働きをしている、という意味になってしまうわけですから。
◆近代のパラダイム
ここでまた、農業革命の時と同じく「引き返せない楔」が発生しました。
未来学者のアルビン・トフラーが命名した「引き返せない楔」というのは、「いったん変わってしまうと元に戻れない社会変化」のことです。
農地から解放された人々は、仕事を求めて都市から都市、工場から工場へ渡り住みます。
その結果、農業社会を支えていた大家族制度は崩壊し、移動に適した「核家族制」が一般的となります。
工場労働者としては適当でない「老人」は、田舎に残すわけですね。
システム化した身分制度は崩壊し、常に平等のチャンスを要求する「市民」が誕生します。
変化は常に「良いこと」になり、宗教は廃れて、他人を出し抜くのが正しい生き方になったのです。
その代わり、だれもが「豊か」になる権利が与えられました。
どんなに手の届かないようなものであろうと、それはただ単に「お金」の問題として解決できるのです。
お金さえ払えば、今までは諦めるしかなかった医療も受けられます。旅行にも行けます。寒い朝も快適になるし、どんなものでも買えるのです。
この世界のすべてのものが、”自分のもの#になる可能性を秘めている、といえましょう。
このような価値観、考え方は、今まで中世の世界に生きていた人たちにとって、圧倒的な魅力として迫ったに違いありません。
引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しい社会システムヘと移行します。
農業革命の時と同じですね。
産業時代の人々は、もう農業時代には戻れません。それどころか身分制度やキリスト教徒時代の人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
「身分制度と無知が支配していた、暗黒の中世」「『本当の自由』を知らない、かわいそうな貧乏人たち」
ああ、また前時代を理解できなくなって、過去を差別しちゃうのです。
産業革命は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会を民主主義、経済主義へと変化させます。これが産業革命の時に起こった、パラダイムシフトです。
この二百年間は、常に「モノ余り・時間不足」を基準にパラダイムがつくられました。このパラダイムは、1章でお話しした科学主義・貨幣経済主義の考え方です。
そして、先ほどお話しした「モノ余り・時間不足」の古代と、大変よく似た特色を持っている社会だとも言えます。
近代のパラダイムとは、モノをもっとたくさん作り出し、もっとたくさん消費することをカッコイイと感じ、時間や人手を節約し効率を上げることを正しいことだと感じる、という方向でかたちづくられています。
商品の規格化・画一化による大量生産。
生産機械や輸送手段の大型化・高速化による効率化。
人手を減らし、機械や資源によって労働を置き換える省力化。
これらすべてがモノ余りを促し、時間不足を助ける方向性を持っています。
モノそのものに関心を持ち、物事を数値的・客観的にとらえる科学主義・経済主義・合理主義が他の考え方を駆逐した時代です。この点も古代と非常によく似ていると言えますね。
あれほど権力を持っていたキリスト教もイスラム教も仏教も、すっかり精彩を失ってしまいました。
宗教は完全になくなったりはしませんでしたが、人々の生活における重要度は著しく下がりました。自ら「無神論者」を名乗る人たちも大勢現れました。
こうして、人々はもっとモノをたくさん使うためにもっとたくさんのモノを作り、それで得たお金でもっとたくさんのモノを買いました。
これが近代のパラダイムです。
◆近代人の生き甲斐
産業革命によって、それまでの封建主義的身分制度が崩れると、世の中は自由経済競争社会となりました。
だれもが金持ちになったり、大勢の人を雇う立場に立ったりできるようになったのです。民主主義制度によって、政治家として支配階級にもなれるようになったのです。
別にみんながいっせいに金持ちや政治家になれるわけではないのですが、チャンスと能力とやる気さえあればトライできるという事実は、それまでの「自分の人生」に対する考え方を大きく変えてしまいました。
それはアメリカンドリームと呼ばれるような、夢が持てる素晴らしいことである一方で、不安や不満や自己嫌悪も大量に生み出しました。
こうありたいと夢見る自分はお望みのままなのに、現実の自分はそれに全く追いつけない、という人がほとんどなのですから。
それでも科学が世の中を便利にし、人々の生活を豊かにし続けている間は、人々はずっと幸せでした。
自分が自分の力で自分の家庭を豊かにしていると考えられたからです。そして自分の働きが、この社会の発展の一端を担っていると考えられたからです。
自分は「神様の思し召しでこの世に生まれ、やがて神様の思し召しで天国に召されるか、地獄に落とされるのだ」と考えているのとは、なんという違いでしょう。
中世において自分とは、自分でもどうにもならないもの、この世に何もできないちっぽけで罪深いものだったのですから。
◆「国民教育」の正体
さて、科学はまた、人々にキリスト教の代わりに「物事を論理的に解明する」という方法論を教育しました。その効果は絶大で、あっというまに蒸気機関や電気の発明されました。
それからは皆さんもご存じの通りです。
蒸気機関車から電気、電話と次々に発明され、人々の生活は大きく変わりました。
それまであらゆることが土地中心、農業中心に組まれていたのに、都市中心、工場中心の生活へと変化したのです。
人々は畑を捨て、都市に出てきて工場で働くようになりました。
今まで家族で協力して畑仕事を行っていたのが、お父さんは工場へ働きに出かけ、お母さんは家事と育児を担当するようになりました。つまり「家庭」と「仕事」という考え方が生まれたのです。
工場でやっている「分業」という概念が、私たちの日常生活まで入ってきました。日常まで工業化され分業された世界、それが「母が待つ暖かい家庭」なのです。
今まで自分たちで作ったものを自分たちで食べていたのが、生産と消費という二つに分かれてしまいました。
工場中心という発想は、教育システムまで大きく変えてしまいました。
十九世紀のイギリスの社会学者、アンドリュー・ウールは次のように述べています。
「いったん成長期を過ぎてしまったら、農民の子でも職人の子でも、優秀な工場労働者に仕立てるのは不可能である。若者を、あらかじめ産業制度用に育てられれば、あとの仕込みの手間が大幅に省ける。
すなわち公共教育こそ、産業社会には不可欠である」
これに関して、トフラーはこのように分析しています。
「工場での労働を想定して、公共教育は基礎的な読み書き算数と歴史を少しずつ教えた。だがこれは、いわば『表のカリキュラム』である。その裏には、はるかに大切な裏のカリキュラムが隠されている。
その内容は三つ。今でも産業主導の国では守られている。
時間を守ること、命令に従順なこと、反復作業を嫌がらないこと。
この三つが、流れ作業を前提とした工場労働者に求められている資質だ」
今、私たちみんなが受けてきた義務教育には、実はこんな目的があったのです。
義務教育の目的として、最も大切なことは知識の修得ではなくて、集団生活を学ぶことだ、とはよく言われることです。
が、「集団生活を学ぶ」というのは、実は工場で機械的な集団作業をこなすための練習だったのです。つまり流れ作業員養成用特別システムです。
こうして、日曜には教会に行き、普段は家族から少しずつ農作業を教わるだけだった子供たちは全員、数年もかかる流れ作業員養成講座を受けることになりました。そしてその成果はめざましく、次々と造られる工場の優秀な工員として、彼らは続々と育っていったのです。
◆近代人の苦悩
思考法だけでなく、「自分」というものに対する考え方も、大きく変わりました。
中世ヨーロッパでは、「自分」は神様の思し召しで生まれてきて、神様の思し召しで天に召される存在でした。神様という、いわば他人まかせのものだったのです。
神様によって農民の子として生まれてきたのだから、「なぜ農民じゃなきゃいけない?」と考えたりはしません。それよりは、農民としてちゃんと生きること、その中でいかに一生懸命祈ったり、施しを与えたりするか、が頑張りどころ、プライドの置きどころだったのです。
が、産業革命以後、これは全く変わってしまいました。
自分がどんな自分であるかは、自分自身で考えて決める、他人まかせにはしないというのが、現在の当たり前の考え方です。
自分で決めるといっても、その時その時で好き勝手をやるというのではありません。自分はどうあるべきか、自分にとってなれそうな立派な自分とはどんな自分かを考え、それを目標に頑張るということです。
こういう「あるべき自分をちゃんと思い描いて頑張っている人」のことを、「自我が確立している人」と呼びます。
みんなが行くから大学へ行く、みんながなるからサラリーマンになる、ではいけない。
そうではなく、「人間は社会に貢献しなければいけない」という自分の考えと自分の能力を考えて、サラリーマンを選んだり医者になったり警察官になったりするべきだ、という考え方です。
これはもちろん職業だけでなく、あるべき夫や妻の姿であったり、あるべき父親像・母親像であったり、あるべき国民の姿であったりもします。
産業革命以降、ヨーロッパやアメリカでは、特にこういう「自我の確立」が何よりも大切だとされました。
幸福の追求とは、神が与えてくれるものではなく、個人が目指す「責任」になってしまった。
「不幸」とは本人の能力や努力不足が原因であり、これまた当人の責任になってしまう。
「神様が決めた通りに生きる」という枷(かせ)がなくなったぶん、一人一人が自発的に立派であってもらう以外、社会秩序を保つ方法は一つもないのですから、当然のことでしょう。
しかしそれはまた、とんでもなく難しく、面倒くさいことだったのです。
この結果、現代の私たちは社会ストレスや、精神病、神経衰弱といった「近代人の勲章」を持つことになってしまいました。
だって、自分が貧乏な理由、物事がうまくいかない理由、人から尊敬してもらえない理由まで、全部自分のせいなのですから。
みんなが豊かさを目指せる社会、とはもう一つの意味を含んでいます。
豊かでない自分は負け犬である、ということです。
ふう、疲れた。
今日はここまで。
じゃ、また明日ね。
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